宇多田ヒカル/初恋
久々に楽しみにして、予約したCD。
到着後嬉しくて、早速聴けば、これがどうした、なんかあっさりと終わってしまい、あれ?これが宇多田ヒカルの新作と疑いたくなるほどに心に残らず。
密かなファンとしては、アルバム全作聴いており、特に前作のFantômeは、傑作だったので期待が高すぎたのか?と。
到着してから毎日聴き込んでみても、さっぱり良さが伝わってこなくて、あぁ宇多田ヒカルもここまでか、なんて思ったり。
が、しかし、先程やっとこ歌詞カードを読んで、あぁ、私の考えは甘かったと痛感。
歌詞が、歌詞というか詩。
それだけで作品として完成していて、読むだけで、情景や思いが伝わる。
そんな完成度高い詩をメロディにのせるなんて、普通ならバランスの取れない感じになりがちだけど、さり気にのせてくる。
これは、テクニックだと思う、宇多田ヒカルの。
だから、私は好きなのだ。
そして、またしても、このアルバムにやられてしまった。
Fantômeは、あの当時の宇多田ヒカルの心を赤裸々に吐露している作品だと思う。
初恋も、宇多田ヒカルの今の思いが吐露されているのだろう。
けれど、前作と違うのは音楽的に作り込まれてるって事かと。
軽く聴くユーザーにも、重く聴くユーザーにも、どちらにも対応できている。
すーっと流し聞きもできるし、深く聴くこともできる。
今作の初恋は歌詞、いや詩を読んでみてください、ぜひ。
それによって彼女の音楽が、初めて完成された状態で、聴くことが、入り込むことができると、私は感じました。
特にパクチーへの展開などは、僕はくまに似てて、流石だなぁと思う。
日本語を知ってるから聴ける音楽と、日本語を知らなければ聴けたと思う音楽。
なんだこの表現は?と思われるでしょうけど、私が宇多田ヒカルを聴いてていつも思うのはその点です。
パクチーの歌詞なんて、意味はなくて、けど、アルバムという作品の中では、絶対に外せない要素だと、私は思う。
もし、私が日本語を知らなければ、この部分を違和感なく聴くことができるし、けれどそのことで彼女の詩の美しささをダイレクトに感じることができないと思う。
この、ちょっとした違和感が、作品に魅力を感じる要素なのかなと。
うん、ツアー、申し込もう。
そうしよう。